運のいい男




伊織と瑛里華は教師との打ち合わせに飛び回っている。
征一郎にとって最後の学院祭の準備も大詰めを迎えていた。
今日は、実務に追われて溜まってしまった書類を支倉と二人片付けていた。
ふと視線を感じて、資料棚に伸ばした腕を引き振り返る。
「何か用か」
「いやっ!!用ってほどのことじゃないんですけど!」
こちらを見ていた支倉はばつが悪そうに両手を目の前でぶんぶんと振る。
「東儀先輩の動きって無駄がないんすよね」
支倉は立ち上がり、征一郎が抱えていた資料を受け取った。
そういう支倉こそさりげなく気が利くのに、とは言わないでおく。
「俺なんていつも資料ひとつ探すのに行ったり来たりしてるから」
「確かにな」
「すげーなって思って」
にこりと笑って資料を机の上に置くと、支倉は給湯室に足を向ける。
支倉は以前よりよく征一郎に話しかけるようになっていた。
元々は人見知りなどしない男なのだろう。
征一郎が無駄に張り巡らせていた壁も最近では崩れつつある。
「先輩何飲みますか?まだほうじ茶ありましたっけ?」
「構わん、あるものでいい」
「俺が淹れるものだから味の保障はないですけどね」

支倉が入った給湯室のドアがぱたりと閉まる。
そういえば征一郎はあのドアの向こうに入ったことがない。
こういうところがやはり自分は型に嵌って古くさいのだろうなと考えてため息を吐く。
机から離れ、ソファに座って支倉を待った。

「お待たせしました」
「ありがとう」
「ほうじ茶、まだ残ってましたから。俺も頂きます」
「支倉も座れ。少しは休憩した方がいい」
「あ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた支倉はなぜか征一郎の隣に腰をおろした。
てっきり向かい側に座るものだと思っていた征一郎は少し身体をずらした。
「あちら側へ座ればいいだろう、狭い」
「いいじゃないですか」
ふふと一人で楽しげに笑って支倉は湯呑みに手を伸ばした。
本当に不思議な男だ。

「あ、茶柱」
「今日はいい日になりそうだな」
「もう、日も暮れてるじゃないですか!」
いきいきと突っ込みを入れる支倉と、立ちのぼる香ばしい香りに征一郎の頬も緩んだ。
一口含んで口に広がるのは茶の温度だけでも。
それでも美味いと思える。
食事を楽しむというのは気分によるところが大きいのだろう。
「はあ、美味い」
「そうだろう、俺が選んだ茶葉だ」
「あ、すいません」
思わずといった感じで漏れた言葉を取り繕おうと支倉が慌てる。
「気にすることはない」

支倉がこうしてのんびりと茶を楽しめることが。
こうして隣で笑っていてくれることが。
本当に幸運なことだと思う。
この男はつくづく運がいい。


妹を、瑛里華を頼む、だなんて父親のようでおかしいだろう。
征一郎は支倉に伝えたい気持ちをずっと抱えたままだった。
すまなかったとは言えなかった。
家や白を守る為という言い訳を振りかざした自分を。
支倉は責めたりせず、逆に気遣ってくれる。
この島の人間は総じて人間関係に関して不器用なのかもしれない。

「支倉」
「はい?」
「ありがとう」
「礼ならさっき聞きましたよ」
からからと笑って、湯飲みをぐいと開けるとさっと支倉は立ち上がった。
「さーもう少しがんばりますか」
「ああ」
征一郎は支倉が置いた湯飲みを手に給湯室へ向かう。
「あ!俺がやりますよ」
「いや、俺にやらせてくれ」
ふっと笑って支倉を見遣ると、にやりと笑って頷かれた。
そのまま何も言わずに征一郎は給湯室へと入った。



こんな穏やかな時間を取り戻せたことを。
いつだって感謝している。



この感謝をどうやったら返せるだろうか。
今、こんな風に給湯室で勝手が分からず立ち竦んでいる場合ではない。
征一郎はドアの向こうの支倉を呼ぼうと身を翻した。







←BACK