sleepin' beauty
今ではあんなに冷血なシスコン男で、あげく吸血鬼の眷属と成り果ててはいるが 征一郎は伊織たちとは違いまぎれもない人の子だった。 東儀の家に生まれたからには伊織の弟として迎えられる可能性も あったのかもしれないが、誕生の時点では征一郎はその未来を回避した。 今ではあまり変わりのない立場にはなってしまったけれど。 むしろ眷属の方が自分の意志ではどうにもできないことが多いような気もする。 そんな征一郎にもかわいらしい子供の時代だってもちろんあったのだ。 東儀の家に行けばたまには顔を合わせることもあったが 厳格なあの家と前当主の前では征一郎の無邪気な顔を見たことなどない。 いつでも礼儀正しく背筋を伸ばして客人である伊織を迎え入れた。 そんなある日のことだった。 訪れた東儀家で当主がしばらく席を外すことになった。 伊織も急ぎの用事があって訪ねてきている訳ではなかったし その日はそこで帰ればよかったのではないかと今では思う。 けれどなぜかその時は、当主の勧めもありその場で待たせてもらうことにした。 広い日本庭園をぼんやり見ているのも風流ではあったが 伊織はやはりその場所でじっとしていられない性分だった。 いつから今のような人格が形成されたか覚えてはいない。 自分ではどうしようもないくらい歪んでいた。 もう100年以上、同じ入れ物に入ったままの精神は。 それをなんとも思わないくらいには麻痺してもいたし 経験はすべてを取り繕い、問題なく生活していくことができた。 今の生活の中では満たされない渇き。 それすらも見ないふりをしていればよかった。 ただ何を求める訳でもなく、あの女を憎んで。 幼いながら屋敷に閉じ込められたままの妹を不憫だとは思うが 今はこうして伊織もただ一日一日を過ごすしかない。 庭園の裏に回ると、離れの縁側が見えてきた。 日向で蹲る子供を認めて伊織はふと足を止める。 征一郎だ。 気配を殺して近付いて、側に腰をおろす。 薄手の着物でそんなところに横たわって寒くないのだろうか。 覗きこむと色素の薄い征一郎の髪が太陽の光に照らされて輝く。 正真正銘の吸血鬼ではあるが、よく聞く太陽の下で生きられない性質ではなくて 本当によかったと思う。 この子も。 もう少し薄い色の髪を持ち、もう少し淡い目の色をしていたら。 そう考えるとぞっとして、額におりた眺めの前髪をそっと梳いた。 かすかに征一郎の瞼が震える。 急な覚醒の前触れに、起こしてしまったかと伊織は手を引いた。 「いおりさま…?」 急にぱちりと開いた瞳は伊織を認めると、ふっと緩められた。 年相応の無防備な表情に伊織はどこか安心する。 せめてこの子等には平穏な未来を。 そう考えるのだって紛れもない本心で。 「こんなところで眠っていると風邪を引く」 「も、もうしわけございません…!」 征一郎ははっと伊織の言葉に顔を青くする。 ぱっと起き上がり、姿勢を正すとしゅんと頭を下げた。 その頭を軽く撫でて、伊織は言った。 「様はいらないぞ」 「でも、とう……父に叱られますから」 「征」 「はい」 「頼みがあるんだ」 「なんでしょうか?」 不思議そうに傾けた首、さらさらと肩に流れる髪にもう一度触れた。 「俺と友達になってくれないか?」 「私と伊織様が?」 自身を指差して眉を顰める征一郎に、伊織はうんと大きく頷く。 「おまえに手伝ってもらいたいことがある」 「私のようなこどもでよいのですか?」 「もちろん、おまえにしか出来ないよ」 「……」 「征、ずっと友達でいてくれる?」 至近距離でじっと目を見つめると、ふっと視線が逸らされた。 照れているのだろうか頬に赤みが差し、ぎゅっと唇が結ばれる。 「いいね、約束だ」 「はい」 「いい返事だ」 頭の上にぽんと掌を置くと、征一郎は嬉しそうに微笑んだ。 今の当主があの女の下であと何年の人生を過ごせるのか。 あの女の気まぐれでいつ眷属として葬り去られるのか。 それは伊織には分かることではなかった。 秘密裏に進めている研究も糸口が見えているとは言い難い状況だ。 当主はなにか隠しているところもありそうだった。 こうして今、伊織が征一郎を取り込もうとしているのは、己の保身の為か。 それとも他に理由があるのか。 その日。 幼い笑顔の前では答えを出すことが出来なかった。 監督生室のドアに背中を預けたまま、ぼんやりと考え込んでいた。 伊織はドアの向こうの征一郎の顔をふと思い出して唇を緩める。 唯一、伊織が護れたものなのだろうかと自問して首を振る。 約束はきっと征一郎が護ってきてくれたものだ。 ふと階段の方から声が聞こえてきて、伊織は顔を上げてそちらに歩み出す。 今日は礼拝堂に行こうとでも気まぐれに持ちかけてやろう。 我らの妹、そして勇敢なるその恋人よ。 今は彼の眠りを妨げないで欲しい。 そう祈ろう。 おだやかな寝顔を記憶と重ねて。 |