桜咲いたら




「せええええちゃああああんーーーー!」
背中にドンとぶつかられた衝撃で征一郎は抱えていた書類を廊下に撒き散らす。
足下に派手に散らばった紙の束に、思わず溜息が漏れた。
屈みながら見上げると、元凶のかなでは仁王立ちで構えていた。
「もーせいちゃん、廊下を散らかさないでよね!」
「おまえが言うか」
「しょーがないから手伝ってあげる」
こちらの台詞はまったくのスルーなのか。
ハイ、と手渡されたそれに感謝していいものかと悩みながら受け取った。
集めた書類を抱えなおしてから、征一郎はかなでに向かい合う。
「どうした」
「ん?」
ニコニコと人の好いかなでの笑顔が征一郎に向けられることはあまりない。
伊織の世話だけで手一杯だと言うのに、これ以上騒がしい同級生と関わりあうこともあるまい。

「悠木が俺に用事だとは珍しいな」
「そんなことないでしょー!」
バンと背中を叩かれて、ずれてしまった眼鏡を上げる。
この小柄な身体のどこにそんな力が隠されているのか、と思わずかなでをじっと見た。
「なにか、頼みごとか」
「アレ…?…なんで分かったの」
「おまえの考え付きそうなことだ、将を射んと欲すればなんとやらだろう」
「せいちゃん、難しい言葉知ってるね」
「常識だ」
「いおりんには〜せいちゃんから言えば聞いてくれるんじゃないかな!と思って!」
「やっぱりな」
「だって!だってね!談話室のテレビ、もう3日も写らないんだよ!」
「手配は済んでいる、もう少し待っていろ」
「せいちゃんはみんなの憩いの時間を奪うつもりなの?!」
「そんなことは言っていない」

秋に寮長に就任してからというもの、かなではよくやっていると内心では征一郎も感心していた。
前寮長とは180度タイプの違う寮長ではあったが、それはそれ。
かなでが寮生たちに慕われている様子は寮でも校内でも見て取れる。
若干私情が入りすぎるところもあるが、あの寮にぴったりの人選だったのかもしれない。
それでなくても忙しい寮長で、今年は伊織の相手もしなくてはならない。
彼女くらい直情型の方が話がこじれなくていいだろう。

「もうすぐ4年生だって入ってくるのに」
かなでは二階の窓から校庭の桜の木に目をやり、わざとらしくため息を吐いた。
新学期への期待と不安は征一郎の胸にも少なからず過ぎっていた。
「その頃には直るだろう」
「せいちゃんだってかわいい妹には快適に過ごしてもらいたいでしょ?」
さも得意そうに胸を張るかなでに思わず苦笑いで返す。
確かに四月には白が入学してくるが、テレビが映るか映らないか気にするようなタイプではない。
「わたしのかわいい嫁だって同じなんだよ!」
「悠木、日本では同性同士の結婚は……そもそもだな」
「もーヒナちゃん、かわいいからって手を出さないでね?」
「ああ、悠木の妹か」
噛み合わない会話は早々に切り上げたかったが、かなでの話は止まらなかった。
時折校内で見かけた陽菜は、かなでとはまた違ったタイプの少女だった。
大人しそうには見えて、しっかりしているというか。
目の前のかなでを見ていると、どちらが姉だか分からなくなる。
伊織が悠木妹がと騒いでいたのを覚えている。
「おれより伊織が噂していたぞ」
「いおりんが?!いおりんなんか絶対ダメだよ!ちょっとどーして止めてくれないの?」
「なにをだ」

どうしてこうも征一郎の周りに居るのは話が見えない輩ばかりなのか。
はあ、と征一郎が大きなため息を吐くと、かなでは征一郎にぐいと顔を近付けて来た。
思わず身を退くと、ふふふと笑いながらまた近付いてくる。
「せいちゃん殿も苦労なさいますなあ」
「は?」
「もー照れない照れない!」
「おい悠木、話が見えないのだが」
「いーのいーの!あ、ホラ!噂をすれば!」
かなでが急に大声を出して窓の外を指差した。
満開の桜の下には伊織がこちらに向かって手を挙げて立っていた。
風に散る桜の花びらの舞う中で、伊織は眩しそうに目を細める。
薄紅色と金髪が嫌味なくらい似合って見えた。

かなではがらっと廊下の窓を開けると、身を乗り出して手を振る。
転げ落ちはしないかと征一郎はその背中をじっと見つめていた。
「いおりーん!」
「悠木姉に征なんて珍しいコンビじゃないか」
面白がっている伊織の声に征一郎はそちらへと目線を遣る。
二階のかなでに聞こえるように、伊織の声はいつもよりほんの少し張りを持っていた。
「そーお?今ねーせいちゃんといおりんの噂してたとこ!」
「なんだい、人に隠れて」
「秘密!いおりんは何してるの?」
「花を愛でながらランチさ」
昼食というには遅すぎる時間なのに、伊織は手にした紙袋を掲げて見せる。
「えーわたしもお花見したい!」
「悠木姉も来るかい?今日は風も気持ちいい」
「ホント?せいちゃん行こう!」
くるりと振り返ったかなでが征一郎の腕をがしっと掴む。
「おい、俺は」
その手をやんわり退けようと思っていると、窓の直ぐ下から伊織の声がする。

「征」
「なんだ」
声の方を覗き込むと、顔を上げた伊織と目が合った。
「征も、降りて来ないのか?」
「……」
「早く、おいで」
「……分かった」
逆らえない言霊に縛られて、かなでに腕をとられたまま歩き出す。
「いおりんの言葉には逆らわないんだねえ」
不思議そうに首を傾げたかなでに、征一郎はふっと微笑みだけを返した。
逆らわないのではなく、逆らえない。
無意識の命に思わず身体が反応してしまうだけだ。
けれど、征一郎には不快感などなかった。
むしろ拍子抜けするほど穏やかな気持ちが、胸に打ち寄せる。

また一年が始まる。
伊織からすればほんの一瞬のような日々を、今年もこの学び舎で過ごして行くのだ。
征一郎もまた共に歩いてゆく。
今年は、何かが変わるのだろうか。
去年と変わらず咲き誇る桜に、もう一度目を落とした。
「あー今年も桜が綺麗だねえ」
歩みを速めながらしみじみと呟いたかなでの言葉に、征一郎も小さく頷いた。



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