very merry unbirthday




「昨日は本当にありがとうございました」
白はぺこりと頭を下げ礼を告げながら伊織の前に、湯呑を置いた。
デスクでは征一郎が、仕事の手を止めて白の淹れたお茶を飲んでいる。
忙しく駆け回る瑛里華と支倉の留守を預かり、3人でお茶の時間を楽しむ。
生徒会が新体制に移ってからの監督生室ではよくある光景だ。
もうすぐ卒業していく彼らの分の食器はその後どうするのだろう、とぼんやり思う。
二人分の湯呑がなくなった食器棚を思うと、なんだか胸が痛む。
「礼には及ばないよ、毎日白ちゃんが淹れてくれるお茶のお礼さ」
「そんな…わたし本当に嬉しかったんです」
「それはなによりだ」

熱い緑茶を冷ましもせずに伊織は口に含む。
女子生徒たちが憧れてやまない華やかな微笑みを白だけに向けて言った。
「白ちゃんのためのパーティーなんていつでも開いてあげるよ。ね、征」
「理由もないのに騒いでばかりはいられないだろう」
咎めるような征一郎の言葉に伊織はすっと両肩を竦ませる。
こんなポーズが自然にできるのも彼だから、なのだろう。
「そうかなあ。なんでもない日おめでとう、でもいいじゃないか」
「……」
根っからのお祭り気質の伊織に溜息を吐いた兄を見遣って、白はくすりと笑う。

昨日はいつもの仲間が白の誕生日のパーティーをこの監督生室で開いてくれた。
工夫を凝らした飾りつけも、司が調達してきた特大のホールケーキも、ささやかな贈り物も。
白にはすべてが初めての経験だった。
幼い頃から友人の誕生日のパーティーに呼ばれることはあっても
自分が他人を招待することなんてなかった。
ましてや、誰かが自分のために祝いの席を用意してくれるとは考えもしなかった。
誕生日は征一郎と二人、食後に和菓子ではなくショートケーキを食べる以外は何も変わらない日だった。
そういえば。

「今年は兄さまの歌を聞けずじまいでした」
「歌?」
征一郎に向けた言葉は伊織に拾われて、当の本人はふいっとパソコンの画面に視線を逸らした。
何かいけないことを言っただろうか、と白は首を傾げる。
「征が歌?」
「はい、わたしの誕生日には毎年歌って下さるんです」
「へえ、珍しいこともあるもんだ」
にやにやと笑いながら、伊織は湯呑を手にデスクの征一郎に近付いた。
「今年も歌えばよかったじゃないか」
「皆で歌っただろう」
「ああ、あれか」
皆で歌ってくれたハッピーバスデーはとてもあたたかかった。
これまでは征一郎一人が白のために歌ってくれた歌を。
こうしてたくさんの人が歌ってくれるなんて。
それもまた白が思いもしなかった未来だ。
狭いしきたりの中、兄妹二人きりで生きてきたような気はしていたけれど、そんなはずはない。
白が気付かなかっただけで、周りでは多くの人が自分たちを支えてくれていたのだろう。
今まで見えなかった感謝の気持ちを改めて心の中で反芻する。

「じゃあ俺の誕生日には二人きりで聞かせてくれ」
「馬鹿を言うな」
「俺はいつでも真剣だよ、征」
また始まった、と白は微笑んだ。
白の与り知らないところで、征一郎と伊織の長年のわだかまりは解けたのかもしれない。
伊織は以前よりも征一郎に懐いているような感じを受けた。
昔は懐いているのは自分や征一郎の方だったというのに。
見た目の変わらない彼は、中身は逆に幼くなったように思う。
それともそう思うのも自分が成長した証なのだろうか。

ぼんやりと考えていた白は、がたんと大きな音で我に返った。
「俺はもう帰るが……お前はどうする」
話を終わらせたかったのか、征一郎が席を立つ。
帰り支度をしながら、そう尋ねたのは伊織に対してだった。
週末、征一郎は自宅に戻ることを常としていたが、白はこの頃はほとんど寮に残る。
明日もローレルリングの活動があると、先程まで話していた。
伊織はこのところよく東儀の家を訪れているらしい。
久しぶりに自宅に帰った時に、白より伊織の方が会っていると使用人に笑われた。
昔から伊織は遊びに来てはいたけれど、今また通ってくれることが
白はなんだか嬉しかった。

「悪い、これから演劇部に顔を出すから遅くなるかもしれない」
卒業を間近に控えてさえ、伊織にはあちこちから声が掛かる。
それに答えては飛び回っている伊織は以前より捕まらないかもしれない。
「そうか」
「対局の約束は必ず、な」
征一郎の肩に手を掛けて、伊織が眉を下げた。
何気ないその物言いがどことなく甘い。
この声音に騙されないでいるのは、普通の人間には難しいのかもしれない。
伊織を兄同然だと考えている白にはまったく効きはしないのだけれど。
長年、付き合ってきた征一郎も同じだろうと白は思っていた。
「今晩は先に休むかも知れない、無理に来なくてもいい」
「征」
苛立った口調でそう言いドアへと足を向けた征一郎の腕を、伊織が少し乱暴に掴む。
その腕をさっと振り払って征一郎は背を向けた。
「白」
「はいっっ」
「お茶をありがとう、片付けを頼む」
「……はい、兄さま」
「征!」

手を伸ばした伊織の目の前で、バタンと大きな音を立ててドアは閉められた。
残された白と伊織は、わずかな沈黙の後大きく溜息を吐く。
「あんな兄さま、初めて見ました……」
「……ごめんね、白ちゃん」
なぜか申し訳なさそうに謝られて、白は首をぶんぶんと横に振る。
「兄さまも…拗ねたりするんですね」
「拗ね……ん、まあね」
ばつが悪いのか首を傾げて笑った伊織は、うーんと唸っている。
「ふふ、早く行ってあげてください」
「片付け、すまないね」
「はい、任せてください」
じゃあ、と背を向けた伊織にもう一度声を掛ける。
「伊織先輩」
「なんだい」
振り返った伊織はまだ困ったような顔で笑った。
「兄さまを、よろしくお願いします」
「白ちゃんにそんなこと言われるとは思ってもみなかったよ」
「わたしもです」
「でも、了解したよ」
「はい!」

今度は一人残された部屋の中で、白はふふと笑いを零す。
厳しい兄の新たな一面を見せられたような気がして口元が緩む。
兄妹とは言えども、いつかは必ず別々の道を歩き始める。
その未来へ不安を抱えているのは何も征一郎だけではなく、白も一緒なのだ。
それでも傍に伊織がいるなら大丈夫なのかもしれない。
なんとなく曖昧な気分でそう考える。
どんな存在でも構わない。
征一郎が誰かを頼ることが出来ればいい。
力の及ばない自分にはそう祈ることしかできない。
そうして征一郎の願ってくれている幸せを探そうと心に誓う。

「なあに、あれ」
「ずいぶん急いでたな」
湯呑をトレイに乗せて、テーブルを片付けていると、瑛里華と支倉が入って来た。
不思議そうに首を傾げる二人に声を掛ける。
「お疲れ様です、瑛里華先輩、支倉先輩」
「おつかれ、白ちゃん」
「白、兄さんどうしたの?」
「伊織先輩がどうかしましたか?」
「いや、今ものすごい勢いで走っていくのとすれ違ったんだ」
「どうしたのかしら」
「どうしたんでしょうね」
ふふと思わず声に出して笑ってしまい、慌てて口元を押さえる。
「なに笑ってるのよ、白」
「なんでもないです」
「隠してないで教えなさいよ」
「瑛里華…」
「……秘密です!お茶淹れて来ますね」
「ちょ、白ぉ〜?」

声を上げた瑛里華と苦笑している支倉を背にして、白は給湯室へと逃げ込んだ。
姉のように慕っている瑛里華にはじめて秘密を持ってしまった。
はじめてばかりの毎日でも、白はこれからも変わらずお茶を淹れていくのだろう。
そう思いながら二人分のティーカップを取り出して、ほんのりあたかかい気分になった。




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